はじめまして。
不登校(子育て)カウンセラーの
ともかです。
現在、不登校、親子関係などで
お悩みの方へカウンセリングをご提供しています。
アダルトチルドレン、HSP、毒親などでお悩みの方にも
対応させていただいております。
私は長年、自分の子どもの不登校で苦しんできました。
他人の目が気になり、生きている心地がせず、
親をやめたいとすら思ってきました。
ここに、幼少期から現在に至るまでの過程を記します。
お読みいただき、私のこれまでの経験が少しでも
あなたのお役に立てましたら幸いです。
寂しさにつつまれる幼少期
私はいつも寂しい感じにつつまれていました。
大人になってもそれは変わらず、なぜいつもそんな感じになるのか
違和感を感じていました。
ここ数年前にわかったことですが、私が母のお腹にいる3ヵ月の時に、
3つ上の姉が亡くなっていました。
さらに同じ時期、祖父が亡くなったり、祖母が病気になるなど
深い悲しみに包まれた環境で母のお腹の中にいる時を
過ごしたことも起因するのではと思うようになりました。
おとなしくやりやすく、手はかからない子だったそうです。
近所に遊ぶ友だちもいなくて、一人でいることが多い子ども時代でした。
暗い学生時代 家を出たい!
父親は家のことや子どものことには全くの無関心。
母親はそんな父親を非難し、神経質で怖い存在。
私は父への腹立たしさを抱きつつ、母の顔色をいつも伺い、
毎日ビクビク。
「人に迷惑をかけないように。」と言われ続けていたせいか
学校でもできるだけ目立たないようにしていました。
高校の時には、足に原因不明の痒い湿疹が出たり、
胃腸の具合も悪くなり、性格も見た目もとても暗い感じに。
そんな状態が本当に嫌で、家を出ることを決意。
勉強を頑張り大学に進学。家を出られた解放感を味わいました。
明るく行動的には振る舞ってはいましたが、
先生や友人に本音を言えず、人に頼れず薄い関係。
つき合う人とも継続的な関係を築きにくく終わる
ということを繰り返していました。
就職・結婚 最高に幸せなはずが、うつに。
教員採用試験に受かり、採用された人はとても少なく、
自分はすごいっ!て思いました。
でもそれは、自分の幸せと繋がることではなかったのです。
実際、教職に就いてみると授業は楽しいが、
職場になじめず、強い孤独感。
担任した不登校の生徒の家庭訪問で部屋まで行ったが、
お母さんと生徒を傷つけてしまったのでは?と思い
無力感と罪悪感を抱きました。
そんな時に 縁あり、同業の夫と結婚。
幸せなはずなのに、生徒とはうまく行かず、
何をやってもう裏目に出る始末。
毎日がつらくて、病気にでもなりたいと思いました。
思いは通じるもので身体が動かなくなりました。
うつ状態になり精神科を受診、抗うつ剤服用。
休職ののち3年で私は退職してしまったのです。
出産したが子どもがかわいくない
妊娠・出産。親になれた喜び。
かわいいはずなのに、泣き止まない子に困り果てて
かわいいとは思えなくなった自分がいました。
なぜ泣くのが原因もわからないし、抱っこしたら反り返る。
実の両親は遠く離れているし、やはり病気がちで困っていると
言い出せない。
さらに同居の義父母の息子への過干渉が尋常ではなく、
家族の中で自分だけがぽっかり浮いているような感覚に。
「自分なんかいなくてもいい。」と疎外感や孤独感を感じ、
人は信じられず、気づけば
ピアノを弾くことだけが喜びになっていました。
そんな中で、幼稚園の行き渋りが始まり、
もしかしたら小学校にいかなくなるのでは?
と不安が募っていきました。
なぜ自分の子が不登校?生きた心地がしない毎日
不安は的中。息子が小学校1年で入学後、
わずか1週間で小学校に行かなくなりました。
夫は子どもの不登校に真剣に向き合おうとせず、
私は不信感、絶望感を抱きました。
そして過干渉の義両親から離れるため、引っ越しをしました。
校長先生から、
「学校に毎日連れてきてください。お母さん、負けちゃダメですよ。」
と言われ、嫌がる息子を引っ張っていきました。
でも、やがて気力体力は限界に。
自分の心身を痛めてまで、学校に連れていく意味があるのか?
と疑問に思い、連れて行くのをやめることにしました。
フリースクールにも連れていったのですが、こちらも続かずやめることに。
フリースクールでも不登校なのかとガックリでした。
ゲーム機を手放さず、昼夜逆転。
父親めがけて押入れの上段から飛び降るなど攻撃が始まり、
マンションの下の階の人から苦情が来て、生きた心地がしない毎日。
そうこうしているうちに1年が経って自分たちの家が建ち、
義両親の近くに戻って来ました。
過干渉は復活し、義父が息子を私の断りもなしに
学校に連れて行くことが続きました。
義父にやめてほしいという言う自信も勇気もなく、
判断も出来ず、義父のなすがまま。
小学校6年になり、なぜか突然毎日学校に行くようになりました。
やれやれと思っていましたが、何だか様子がおかしいと気づき
息子に聞くと、担任から体罰を受けていると。
あまりのことに、私は呆然としたのでした。
親をやめたい 2度目の不登校
中学校に入学し、1学期の中間テストまで毎日行きましたが
またもや、ぱったりと行かなくなりました。
ずいぶんあとになって聞きましたが
クラスメートからいじめに合っていたようです。
ようやく続けて行けていたのに。
もう不登校ではないから大丈夫って思っていたのに。
私は2度目の不登校にとてもショックを受け絶望しました。
もう、親をやめたいと。
死んでしまうかも?大病
息子が中2の時に私の子宮頸ガンが発覚。
子宮、卵巣全摘。リンパ節郭清手術・抗がん剤治療。髪の毛は全部抜け、
入退院を繰り返し、人生は終わったと感じました。
しかし、こんな絶望感を感じている時に救う神あり!
自分が心地よいということをやり、今までと逆のことをやれば
治る方向に行くとある方が教えてくれたのです。
死ぬにしても生きるにしても自分を大切にすることをやってみよう!と
少しづつ自分を生きられる方に向いていったように思います。
そして、息子が中3の時に、カウンセリングを勧めてくださった方がいて、
おそるおそる勇気を出して受けてみました。
自分の気持ちを吐き出し、いろんなことを教わり、
実践していく中で、1年間で自分の気持ちはかなり落ち着いていきました。
この時、はじめて発達障害のことを知り、目からウロコ。
今までどうしても理解し得なかった家族への理解が
できるようになりました。
この時、カウンセリングを受けていなければ、
もっと追い詰められていたかもしれません。
カウンセリングを疑っていたけれど、勇気を出して一歩を踏み出した結果、
自分に合ったカウンセラーさんに巡り会うことができて
本当によかったと今でも思います。
いろんなお子さんがいる 発達支援
その後、発達支援の学習塾に出会い、講師として働くことになり、
10年ほどさまざまなお子さんの支援をさせていただきました。
出会った時は、どのお子さんも本当に不安定な感じですが、
毎回の授業で力をつけ、お母さんとも授業後、毎回お話させていただくことを
積み重ね、どのお子さんも自分に合った進路を見つけ、
巣立っていかれました。
今でも「就職が決まりました。」「大学に合格しました。」
などと報告してきてくれています。
特別支援学校の自閉症クラスの講師も経験し、そこで大きな学びや気づきを得て
いろんなお子さんへの理解ができるようになりました。
親子関係の変化 未来へ
子宮頸がんの自宅療養に入ったタイミングで、義父が脳梗塞で倒れたのを
皮切りに、介護が始まりました。
実の両親と夫の両親、10年間で4人です。
あんなに嫌だった実家。
でも介護がきっかけで、実家に頻繁に帰省するようになり
帰るたびに言いたいことが言えるように。
私の心はどんどん楽になっていきました。
以前無口だった父とは冗談を言って笑い合い、
母とはいろんなお店にお食事に行って楽しみました。
今では、父の笑顔と母の繊細さは私の宝物だと思っています。
夫の両親も私を頼りにしてくれるようになり、
度々、感謝を伝えてくれました。
親子関係は本当に変わりました。
自分一人で何とかするのではなく
いろんな人の助けを借りていいんだって
思えるようになったことも大きかったと思います。
それは、カウンセリングで教えてもらったことでした。
自分が楽になってくると、息子の心もほぐれるのか
気づくとやる気に向かっているのに驚かされます。
私も息子もようやくですが、自分の人生の未来を感じながら
生きることができるようになりました。
大きく変えていけたのは・・・
私は息子を何とかしようと必死になって焦り、
多大な時間とお金と労力をかけてきました。
子育て法、心理学、カウンセリング、心理療法、気のトレーニング、パワースポット巡り、話し方、脳科学、ユダヤの教育、著名な経営者からの教え、食事療法、アロマセラピー、瞑想、気功、ヨガ、断食、各種健康法、整理収納法、パソコン教室など・・・
学校では教わって来なかったものばかりです。
いろんな学びは得難いものではありましたが
結局、大きく変えていけるのは、心の仕組みを知り、毎日のほんのわずかな自分の気づきと行動の仕方にありました。
現在、その心理学の方法と発達支援の個別学習塾の講師やピアノの講師、教職の経験での教育現場の理解を元に、学んだ数々の手法を使って、不登校(子育て)カウンセリング
を行っています。
加えて、アダルトチルドレン、HSP、毒親などでお悩みの方へも対応させていただいております。
時間は何かと交換できるものではない
とつくづく思います。
私は一人で悩み過ぎて、時間を本当に無駄にしてきたと思いすごく後悔しています。
自分だけでなく、息子の時間も奪うことになっていたと気づいた時には愕然としました。
時間は取り戻せないので、ぜひ一日でも早く
心地よく生きられるあなたになっていただきたいと願います。
そのために私を伴走者として活用していただけたらと思います。
人の心に寄り添い、一緒に解決策を考えていくカウンセラーとして、
私は今日も励んでいきます。
笑顔のお母さんと未来を担う子どもたちの幸せのために。